十六夜会岡山
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皆様お元気ですか? さて、
令和7年3月30日(日)下記により,「津山高校第16期卒業60周年記念同窓会」を開催します.皆さんへの案内は今年11月下旬頃に津山支部より正式に出す予定です。おそらくこれが全体で実施する最後の同窓会になると思います.どうか是非ご参加下さい.
なお,レジメにも記していますが,令和5年度忘年会を"令和 5 年 11 月 25 日(土),13:00−,RYOUTEI奉還町本店"で開催する予定です.今から是非皆様のご予定に加えていただき多数の参加をお待ちしています.
十六夜会の皆さん。会長の竹内です。
今年の津山豪雪は全国ニュースに取り上げられるほどの大雪だったようです。津山に仕事に通っている保田立二さんによると、私たちが高2の時に経験した昭和38年の大雪以上だそうです。そんな中で同期の内田収さんが雪山に挑戦し、その時の様子を文章と写真で教えてくれました。
全盲のハンディを跳ね除け、健常者以上の行動に敬意を表しつつ、内田さんの眼を通して雪の世界を味わってください。
このところ大した出来事もなかったのですっかりご無沙汰してしまいましたが、6月9日に内田収さんたちと大山に登ってきたので報告します。
津山高校第16期メーリングリストの皆さんへ。
竹内宏器です。
3年越しでやっと実行に漕ぎつけました.皆さまのご支援の賜物と幹事一同感謝の念に堪えません.改めましてありがとうございました.雑事に追われ記念の写真もありませんが,ご報告申し上げます.なお,次回全体同窓会は80歳の記念傘寿同窓会を津山で開催すると伺っています.津山の皆様どうかよろしくお願いいたします.皆さま健康に留意し全員参加を目指しましょう.なにしろまだ50年残っているのですから!!♪
幹事代表・福田富男
岩屋城は標高483メートル、津山市の南西部に位置し、室町時代末期に山名氏によっ て築城され、その後赤松氏、尼子氏、毛利氏の支配下と転々と主を変えて行きました が、宇喜多氏の時に野火による火災で焼失、廃城となりました。
今回は内田さんの企画で「障がい者の山登りを支援するボランティアの人を募ろう」として計画されたものです。参加者は、視覚障がい者5人に対し、健常者は13人、私も障がい者の一人として参加しました。 前にもお話したかもしれませんが、障がい者1名に対し健常者が前後に一人つつ付いて3名で1チームになります。障がい者は前の人のリュックに縛り付けたロープを握り、そのロープの感触で大体の方向や歩くスピードを感じ取ります。また前を行く人は「今から急な登り階段です」とか、「右に大きく曲がります」の道 の状況だけでなく、「右は崖なので左寄りを歩いてください」や「上に木の枝ががあるので頭を下げて」などの細かい指示もしてくれます。後ろに着いた人は、障碍者の足かちゃんとした足場を踏んでいめかを見ていて、「右足をもう10センチ前に」や「左足をもっと左に」などの細かい指示をしてくれます。これらの指示を信じて足を運ぶことが全く見えない人でも山に登ることができるのです。
私には前に伴藤(ばんどう)さんという男の人と後ろに土井(どい)さんという女性がついてくれました。ちなみに土井さんは津山高校の第41期の後輩です。9時半、津山市の福祉会館を出発、10時20分登山口着、15分ほどサポート方法や岩屋城の歴史などの説明を聞いて10時35分登山開始、いきなり急こう配のの丸太で土留めをした立派な階段を登る、しかも上に上がるほどこう配はきつくなる.そして階段のつくりもお世辞にも立派とはいえない貧弱なものになり、右手が崖の斜面を進む。道は深い森の中を進むのだか、木々の間から差し込んだ陽の光が地面につくるまだら模様が美しい道はずっと急こう配だが途中に寺院や水門、二の丸の跡などがあってその都度足を止めて景色を楽しむ。七合目を過ぎたあたりから階段はなくなりなだらかな道になる。前方には木々の間から空が見え隠れしてちょっとした庭園を歩いているようだ。そして11時半、大きな鳥居のある展望台に到着、約1時間ほとんど休みなし。 ここで全員の記念写真を撮って昼食。コンビニのおにぎりでも体を動かした後ではご馳走です。12時半、少し離れた山頂に向かう、10分ほどで到着。 あまり広い場所ではないが、ここに本丸があったとのこと。戦の時だけの砦ではなく、実際に住んでいたらしい。
休む間もなくそのまま下山。 帰り道は登りとは別のルートで、今度は階段ではなくコンクリート舗装されたつづら 折りの道をひたすら降りる。結構な急こう配なので、滑らない様に小幅で足を進めるがなかなか登山口が見えてこない。太ももがパンパンに張ってきて脛の筋肉も痛くなってきたころ下に登山口に続く道が見えてほっとする。1時半、一人の脱落者もなく全員元の登山口に到着。2時半には福祉会館に帰ってきました。
今回は視覚障がい者として参加しましたが、私はある程度は見えていたので困るようなことはありませんでした。もし、目隠しをして全く見えない状態だとどうだったのだろうと思いました。このつぎは挑戦してみます。 展望台で内田収さんと撮った写真を添付しますので見てください。
竹内宏器さんから,超人二人・2nd_Versionの投稿がありました.画像とともにとくとご覧あれ!!w(゚o゚)wワオ!!
門の一部や角楼(写真@)
(写真A,左内田・右竹内)
竹内宏器さんから,またまたすごい登山体験(かな?(笑))が投稿されました.画像とともにご覧下さい!!
この前の日曜日、トレーニングの一環で五色台に登り、根香寺(ねごろじ)から白峰
寺(しらみねじ)を縦走してきました。
今回のテーマは持久力、大山を想定し8時間のロングランに耐えられるかを試してみ
ました。
五色台は勝賀山の西側にあって、青峰、白峰、赤峰、黒峰、黄ノ峰の五つの峰が放射
状に延びており、標高は200メートルかな400メートルの台地ですす。
朝9時に家を出て鬼無(きなし)からの自動車道を歩いて五色台を目指した。
道端の梅やひがん桜が丁度満開で楽しませてくれる。
自動車道を歩くと一定のペースが保てて楽だが、それではトレーニングにならないの
で自動車道に沿ってある遍路道を探して歩くが段差があったり岩があったりで近道の
はずが時間は余計にかかる。
12時半根香寺に到着。
根香寺は四国霊場の第82番札所。宿坊もない小さなお寺ですが、うっそうとした杉木立のなかに建っていて薄暗く、いかにも真言密教を修行するためのお寺という感じです。
(写真@根香寺本堂)
お参りを済ませ13時に6キロメートル離れた白峰寺に向かう。
自動車道を通っても行けるが、ここはトレーニングのため遍路道を行くことにした。
木立の中を緩やかな下りが続くが、多くの人が行き来をしている割には整備はされていない、。
あえて昔の儘の遍路道として残しているのかもしれない。
昔に一度通ったことがあったはずたが、なかなか見覚えのあるところに出ない。この道であっているのかと不安になるが、その時にきまって「白峰寺まであと何キロメートル」という標識が出てきて安心する。そんな時道が二手に分かれ、一方に「県道まで300メートル」の標識が現れた。「県道がこんな近くをはしっているのか?」と興味をそそられ道草覚悟でそちらに足を向ける。いくら山道でも300メートルなら10分もかからないと踏んでいたのに15分歩いても県道らしきものは見えない。何かの間違いと気づき引き返す。元の三叉路に戻ってもう一度標識をよく見ると、道は三叉路ではなく四差路で、県道は逆の方向だった。余分な時間を費やしたので時刻は15時、一路白峰寺を目指す。あと2キロメートルしかないはずがなかなか白峰寺が見えてこない。山の中は日が落ちるのが早いので少し焦る。
16時少し前にやっと白峰寺に到着。
(写真A白峰寺本堂)
白峰寺は四国霊場第81番札所で、五色台西面の日あたりのよい中腹に建っており、宿 坊こそないが本堂・太子堂も大きく参拝客も多い様子。 また境内には崇徳上皇の陵もある。 当初予定では第80番札所の国分寺を目指すことにしていたが、時間がないのでまっ直 ぐ帰ることにした。 とはいってもここは坂出市になるのですべて歩いていては夜中になってしまう。JR で一番近い鴨川駅から電車で帰ることとした。 白峰字から自動車道をひたすら歩いてふもとまで降りてくるとすでに17時半、この分 では家に着くのは20時と覚悟した。 ところが幸運なことに鴨川駅までの道を訊いた人が「駅まで送ってあげよう」と言っ てくれた。 ありがたくお言葉に甘えたが、歩いていれば小一時間の距離があった。 さらに幸運なことにお礼を言って車から降りたとたん電車がホームに入ってきて、待 ち時間なしで電車に乗ることができた。 15分ほど電車に乗り最寄りの香西(こうざい)駅で降りて家に着いたのは19時丁度、 すっかり日も暮れていた。 結局10時間、四万二千歩の長丁場を乗り切ることができた。 持久力に自信は付いたが、大山に登るたるにはもっとスピードが必要なことを痛感した。
内田収さんが,再度山陽新聞ちまた欄に投稿されています.ご覧ください.
皆さん、こんにちは。竹内宏器です。
今日は、私がいつも山登りのトレーニングをしている勝賀山(かつがやま)を写真で紹介します。
勝賀山は標高364メートル、JR高松駅から真西に10kmの位置にあります。形状は写真@のように「入母屋造りの屋根」の形をしています。すそ野は緩やかですが、頂上に近づくにつれて急こう配になっています。
室町時代末期に地元の豪族「香西氏」が山城を築いたのもうなづけます。頂上は東西50メートル、南北200メートルの平地になっており、石垣ではなく土塁が築かれており、その遺構は今もはっきり残っています。
土塁の中央部には写真Aのように石の祠が残っており、ボランティアの方が史跡の保存に努めています。また頂上から東側の眺望は、写真Bのように高松市郊外の鬼無(きなし)地区の家並みが広がっています。
そして市街地の中央にあるのは紫雲山(標高200メートル)で、その麓には名勝「栗林公園」があります。さらに頂上から少し下ったところに展望台があり、瀬戸内海を望むことができます。写真Cに写っているのは女木島(めぎじま)ですが、よく晴れた日には豊島(てしま)や小豆島(しょうどしま)もはっきり見えます。
登山ルートは、東から香西口(こうざいぐち)、南から鬼無口(きなしぐち)、西から下笠居口(しもかさいぐち)の3つがあって、所要時間はどれも登り1時間半、下り1時間の比較的易しい山です。
春は桜、秋は紅葉、地元の人が子供連れで登ってくる、みんなに愛されている楽しいお山です。
登ってみたい人がいれば、いつでもご案内させて頂きます。
令和2年忘年会,参加者3名(寂しい・・・)でもダースベーローも参加??!!
おじんツーリング実施しました. ここを開く
皆様の手元にも同窓会延期の葉書が届いていると思います.紙面にも書いてあると思いますが,今後はこのホームページでの連絡になります. 出来るだけチェックして下さい.そして,是非,掲示板(上部メニューの最右にあります)に反応を示して下さい.
新型コロナウイルスの関係で,”2020津山高校第16期同窓会(以後は”2020同窓会”と略記いたします)”は延期したいと思ってます.次期開催などについては検討いたしましたが,2021年秋期に計画したいと考えております.その旨お葉書で本日皆様に発送いたしましたので,近日中にお手元に届くと思います.
既に2020同窓会の会費を納めていただいた方が33名おられ,ご期待いただいていたのにまことに申し訳ありません.お許し下さい.なお,前納いただいた会費は次回開催まで保留とさせていただきます.もし,どうしても変換を希望される場合は,メール,または福田富男までご連絡下さい.この点は葉書にも書いてありますので,よろしくご協力お願いいたします。
新型コロナウイルス禍がどこまで継続するか現在余談を許しませんが皆さま体調に留意し元気で次回同窓会でお会いしましょう.今後はホームページ主体の連絡となります.よろしくお願いいたします。今回送付したお葉書は大切に保存しておいて下さい.宛先ラベル右上の番号が皆さまの通番です.今後ともその通番が重要です.
なお,ご意見がありましたら,メール(このホームページの最下段に設置されています),または掲示板でご連絡お待ちしています.
また,ホームページ上で皆さまへの連絡などもお寄せいただければ必要に応じてアップロードさせていただきます.ワード他のファイルでメールに添付していただけると,ホームページ作成の手間が省けありがたいです.その際も通番を是非併記して下さい.
(幹事代表・福田富男)